【古代史講演会】「物部氏の東遷」参加してきました☆(5)

港区三田での講演会のブログのつづきです。

「物部氏の東遷」講演会ブログ、今回が最終回です^^

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講演会のテーマは、
「物部氏の東遷ーようこそ神々のふるさとへー」
1.神話の神々を祭る山河
2.倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域
3.東地域にみられる神話と大和地名の残照
4.物部氏と尾張氏
でした。
※矜持(きょうじ)とは、自負、プライドのことです。

(主催 九州の歴史と文化を楽しむ会)

「先代旧事本紀 現代語訳」を書かれた女性の講師のご講演でした^^

「物部氏の東遷」講演会過去ブログはこちらから☆↓↓
サクッとまとめ編
神話の神々を祭る山河
倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域
東地域にみられる神話と大和地名の残照

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今日は、「4.物部氏と尾張氏」についてです。

▷物部氏の系譜

『先代旧事本紀』「天神本紀」では、饒速日命とともに、三十二の神々と物部二十五部が、この筑紫の国の東部を中心とする地域から、畿内方面へ降臨するのが理解される。
(資料より引用)

古典を素直に読むと、饒速日命(にぎはやひのみこと)たちは、筑紫の国(北部九州)から、畿内方面へ移動したようです。

そして、

古代の有力氏族である物部氏は、饒速日命と大和の豪族の娘の子として生まれた宇摩志麻治の命を祖とする。
(同資料より引用)

そんな物部氏の系譜を見てみましょう。

古事記、日本書紀の系譜(資料)
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(クリックで拡大します)

先代旧事本紀の系譜(資料)
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(クリックで拡大します)

物部氏は、上の系譜赤枠の「宇摩志麻治命」(うましまちのみこと)から始まっているとのこと。

ワタシのメモ書きがありますが…気にしないでください><

ちなみに、饒速日尊(にぎはやひのみこと)は、神武天皇より先に大和に入っていたそうです。

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▷尾張氏も

物部氏は饒速日尊(にぎはやひのみこと)の子「宇摩志麻治命」から始まったことがわかりましたが、

饒速日尊は、尾張氏も生み出しているんです。

天道日女命と饒速日尊の子、天香語山命(高倉下)が尾張氏の先祖と続いていきます。

資料を見てみましょう。

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(クリックで拡大します)

三種の神器の1つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祭る神社「熱田神宮」の祭祀を行っているのは尾張氏です。

▷まとめ

仏教渡来以前からある氏族の物部氏尾張氏

日本の歴史の中で大事な氏族で、饒速日尊はその両氏族を生み出しているんですね☆

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▷最後に

「物部氏の東遷」講演会ブログも最終回になりました^^

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます!

まだまだ講演会内容を書ききれてないのですが、ここでいったん区切りたいと思います♪

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【古代史講演会】「物部氏の東遷」参加してきました(4)

港区三田での講演会のブログのつづきです。

講演会ブログ、ゆっくり更新中

○サクッとまとめ編
「物部氏の東遷」参加してきました(1)

○神話の神々を祭る山河編
「物部氏の東遷」参加してきました(2)

○倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域編
「物部氏の東遷」参加してきました(3)

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講演会のテーマは、
「物部氏の東遷ーようこそ神々のふるさとへー」
1.神話の神々を祭る山河
2.倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域
3.東地域にみられる神話と大和地名の残照
4.物部氏と尾張氏
でした。
※矜持(きょうじ)とは、自負、プライドのことです。

(主催 九州の歴史と文化を楽しむ会)

「先代旧事本紀 現代語訳」を書かれた女性の講師のご講演でした^^

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今日は、「3.東地域にみられる神話と大和地名の残照」についてです。

▷神社や習俗

北部九州東地域には、大和政権の祭祀と密接な神社や習俗がある。
(資料より引用)

北部九州東地域の、その内容を見てみましょう^^

多賀神社(伊弉諾の尊)
日若神社(伊弉諾の尊)
ご神木のオガタマの木
禊の風習と密接なお汐井取り
英彦山神社(お汐井取りの神事を伝える)
宇佐神宮(皇室と由緒深い)
香春(かわら)岳(宇佐神宮に奉納する神鏡の銅を採取)
宗像大社沖ノ島(国宝・重文の宝庫)

このようにズラ~っと。

▷地名

遠賀川流域には大和地方の飛鳥・山の辺・葛城地域の地名が濃厚である。
(同資料より引用)

資料を元に地名を見てみましょう!

左:九州(剣岳)  右:大和(剣池)
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(クリックで拡大します)

左:九州(柏の森 かやのもり)
右:大和(栢の森 かやのもり)
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(クリックで拡大します)

左:九州(古門)  右:大和(布留)
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(クリックで拡大します)

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もう少し!

左:九州(香春 かわら) 右:大和(川原)
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(クリックで拡大します)

左:九州(上山田・下山田・内山田)
右:大和(山田)
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(クリックで拡大します)

他にも、
九州 — 大和
遠賀 — 岡
島戸 — 島
鞍梯 — 倉橋
などを挙げています。

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そして、上記にも出てきた山田という地名について、

「山田」は神功皇后が住吉三神を祭る地として「我が御魂を、穴門の“山田邑”に祭らせよ」とご神託を授かった神祭りの地名である。
(同資料より引用)

と説明されています。

▷今日のまとめ

何で、九州と大和に同じ地名がこんなにたくさんあるのか??

人々の移動によって大和や伊勢にもたらされた地名ではないか。
(同資料より引用)

北部九州東地域の人々が、大和や伊勢に移動したことによって、同じ地名が!!

北部九州東地域の人々→→→移動→→→大和・伊勢という流れですね。

今日も最後までありがとうございました!

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【古代史講演会】「物部氏の東遷」参加してきました☆(3)

港区三田での講演会のブログのつづきです。

過去ブログはこちらから☆
「物部氏の東遷」参加してきました☆(1)
「物部氏の東遷」参加してきました☆(2)

講演会のテーマは、
「物部氏の東遷ーようこそ神々のふるさとへー」
1.神話の神々を祭る山河
2.倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域
3.東地域にみられる神話と大和地名の残照
4.物部氏と尾張氏
でした。
※矜持(きょうじ)とは、自負、プライドのことです。

(主催 九州の歴史と文化を楽しむ会)

「先代旧事本紀 現代語訳」を書かれた女性の講師のご講演でした^^

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今日は、テーマ「2.倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域」について書きます^^

資料から引用して箇条書きにします。

▷北部九州の東地域について

○考古学的には箱式石棺の文化をもち、鉄器の出土が顕著

○縄文時代以来の「石」や「木」の文化を大切にする人々

○弥生時代の遺跡 福岡県飯塚市立岩(たていわ)は、日本列島各地の神社の原初的信仰形の磐座(いわくら)を意味する

たていわ、たていし、いわたては、天皇家に伝承される言葉

とおっしゃっていました。

(箇条書きの引用つづきます)

○日本神話では瀬戸内海や出雲との交流は密接

○海洋や河川の水上交通に長けた海洋民族を彷彿とさせる

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▷え?鏡が出てこない??

○天照大御神の時代の最後まで、神器としての鏡を所有していたようにみられない

○天つ神の先祖は、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の尊に「天の瓊矛(ぬぼこ)(玉飾りの矛。)」を授ける

が、しかし、

○天照大御神は孫の瓊瓊杵(ににぎ)の尊に「わが御魂として」を授ける
↓↓ということは…
○神話を創造した人々が当初は大陸文化の象徴である「鏡」を欠いていたというのは、その時代性や地域性を伝えたものではなかったろうか

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▷今日のまとめ

神話を形成した人々(北部九州の東地域)は、
金印奴国に阻まれ、中国の王権と密接な鏡を入手することに遅れをとったものの、

●縄文時代以来の日本列島の伝統を継承した地域
↓↓
●倭国の伝統の矜持(きょうじ)(プライド)をもった地域だった

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こうして改めて、一つ一つ見ていくと、まるで謎解きをしているような感覚になります。

へぇ~、ほぉ~、ふむふむ

日本人=農耕民族というイメージがありましたが、海洋民族だったのかもしれないのかぁと。

農耕民族は、その場所に住み着きますが、海洋民族は移動することに抵抗なく、

どおりで神話を読んでいると、あちらこちらに移動しますよね。

海洋民族って考えた方が、自然なんだろうなと思いました^^

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【古代史講演会】「物部氏の東遷」参加してきました☆(2)

東京都港区で行われた講演会に参加してきました。

【古代史講演会】「物部氏の東遷」参加してきました☆(1)
のつづきです。

講演会のテーマは、
「物部氏の東遷ーようこそ神々のふるさとへー」
1.神話の神々を祭る山河
2.倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域
3.東地域にみられる神話と大和地名の残照
4.物部氏と尾張氏
でした。
※矜持(きょうじ)とは、自負、プライドのことです。

(主催 九州の歴史と文化を楽しむ会)

「先代旧事本紀 現代語訳」を書かれた女性の講師で、丁寧で初心者の私でもわかりやすい講演でした^^
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今日は、テーマ「1.神話の神々を祭る山河」について書きます^^

▷神話のふるさとはここ?

遠賀川・筑後川中上流域を中心とする北部九州の東領域は、日本神話のふるさとではないか。
『古事記』『日本書紀』の「筑紫の国」である。
(講演会資料より引用)

北部九州にある遠賀川(おんががわ)と筑後川(ちくごがわ)。

場所を見てみます。
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北部九州にご注目☆

遠賀川・筑後川
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この川の流域が、日本神話のふるさとではないか?というお話でした。

河川の合流するところや主だった山などに、日本神話の

天照大神(アマテラス)や高皇産霊尊(タカミムスヒ)の一族の神々

が祭られています。

資料をパシャリ
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(クリックで拡大します)

古事記や日本書記に出てくる神話の神々が、たくさん祭られています。

講師の女性が、「これほどまでに神話の神々が、地域の主要な山河に祭れているのは珍しい。」とおっしゃっていました。

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▷驚きの一致

北部九州の山河の名称は、大和の飛鳥と山の辺地方と一致する名称も驚くほどに多いのである。
(同資料より引用)

資料を見てみます。
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(クリックで拡大します)
※色は私が塗りました

「古典に記されている通りに、日本の神話は筑紫で生まれて、人々の東方への移動によって大和方面へ、地名とともにもたらされたようみられる。」とおっしゃっていました。

この名称の一致が何を示しているかというと…

日本の神話は筑紫(北部九州)で生まれて

人々の東方への移動

大和方面へ地名とともにもたらされた

これは古典に書かれている通り、ナノデス。

北部九州の山河の名称と、大和の飛鳥と山の辺地方の名称の一致は決して偶然ではなく、

筑紫から大和への人々の移動によるものだったんですね。

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そして…

この人々の大和への移動によって、あの大和朝廷の誕生です!

大和へ移った人々が大和朝廷を創始したのではないだろうか。
考えてみれば、実に単純シンプルな解答である。
(同資料より引用)

▷あらためて、結論☆

日本神話の「筑紫の国」その後の「筑前の国」として古来一度も国が分かれない福岡県の東部地域は、後世に中央政権によって強制的に設けられた境界でなく、自然発生的に形成されたコミュニティと考えるのが自然である。
(同資料より引用)

「筑紫の国」
後の—「筑前の国」
場所—福岡県 東部地域
○自然発生的に形成されたコミュニティ
○古来一度も分かれていない
○後世に中央政権によって強制的に設けられた境界ではない

→結論
福岡県の東部地域が、日本神話のふるさとではないか。

納得、すっきり!

最後までお読みいただきありがとうございました!
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【古代史講演会】「物部氏の東遷」参加してきました☆(1)

先日、古代史の講演会に参加してきました^^
@三田(港区)

テーマは、
「物部氏の東遷ーようこそ神々のふるさとへー」
1.神話の神々を祭る山河
2.倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域
3.東地域にみられる神話と大和地名の残照
4.物部氏と尾張氏
でした。
※矜持(きょうじ)とは、自負、プライドのことです。

(主催 九州の歴史と文化を楽しむ会)

「先代旧事本紀 現代語訳」を書かれた女性の講師で、丁寧で初心者の私でもわかりやすい講演でした^^
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学んだことをまとめます☆

(箇条書きにしたので、サクッと読めます)

・日本の上代古典は、矛盾していることは言っていない。
(古典:古事記、日本書紀、先代旧事本紀、風土記、万葉集、古語拾遺)

例えば古事記と日本書紀で内容が違うことがある。
その理由は、違う種族が伝承し、書きつけたので。(当たり前)

そのような違いを除くと、一致している。
(「よくぞ一致している!」と考える人は少ない。)

・古典に書かれている古い神話の時代は、が出てくる。
楠や樫は北部九州にある植物→神話は北部九州が舞台になっている。

(畿内や関東は、

・川は言語の化石。

・山頂に神々を祭るのは古代のスタイル。その後、山頂まで行くのが大変になり、山の下に祭られるようになった。

・場所を移せる天皇家は海洋民族なのでは?農耕民族は土着して動かない。

・なぜ山などの自然に神が祭られているのか?
そもそも社殿は仏教の影響で、仏教が日本に入ってくる以前は、社殿はなく山や石など自然を信仰していた。

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へぇ~なるほど~と思うことがたくさんありました。

例えば、古事記、日本書紀で何で違うことを言ってるの?

の答えは、シンプルなものでした。

「違う種族が伝承し、書きつけたものだから違って当たり前」

なんとなんと。

そうですよね。

言われてみれば、そりゃそうだ、と。

それぞれの立場で、それぞれ伝えたいことを言っているんですからね。

「違って当たり前」

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古典の植物に注目するのもおもしろいなと思ったのが、コレ。

古典に出てくる

畿内や関東にはなく北部九州にある植物だそうで…

ということは、素直に考えれば、神話って北部九州発ですよね。

ふむふむ。

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社殿ではなく、山や岩などに神様が宿っている、祭られているのは何でなのかな?と漠然と思っていましたが、こちらもすっきり。

538年に仏教が伝来しますが、神社で見られる社殿は仏教の影響で、それ以前は社殿はなく山や岩、石、樹木に神様が祭られていて、それを拝んでいたんですね。

日本の最初の信仰は、自然だったんですね~。

日本人なのに、日本のこと全然知らない><

今日はこのあたりで、次回、講演会の本題に入ります(笑)

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