1/18(日)『邪馬台国の会』に参加してきました。
今回は特別講演で、元奈良県立橿原考古学研究所 所員 関川先生をお招きしての3時間でした。
≪三部構成≫
(1)考古学の立場から見た「邪馬台国=大和説」への疑問
講師:元奈良県立橿原考古学研究所 所員 関川先生
(2)奈良県・纒向遺跡出土の大型建物について
講師:邪馬台国の会主宰 安本美典先生
(3)関川先生と安本先生の対談
今日も多くの皆さんにご参加いただきました。
椅子を追加で出す必要があるくらい大盛況でした!
ご参加の皆さん、ありがとうございました!
関川先生のご講演の内容を少々…
「箸墓古墳」は平地にあり、百舌鳥古墳などと同じ時代
→中期の古墳で、卑弥呼の時代ではない。
「纒向遺跡」は川と川の間に幅70mと狭い場所に位置し、自然集落と変わらない立地
→王都ではない。
では、「纒向遺跡」は何なのでしょう??
→崇神天皇陵などの古墳作りの村(キャンプ)ではないか?と言っている人もいるそうです。
そして、「纒向遺跡」から出てきている“鉄器”は、北部九州、伽耶の地域の影響を受けているのと、神奈川県や千葉県でも出ていて、纒向遺跡からだけではないと説明されていました。
とてもわかりやすい内容で、もはや、大和説がなぜ成立するのか、不思議だな~と思いました^^
安本先生のご講演の内容も少々…
「纒向遺跡」は、全部発掘されたわけではなく、一部発掘されたものから推定しています。
推定面積と、確認面積があり、「纒向遺跡」の確認面積はそんなに大きくなく、大きさだけで言うなら三内丸山遺跡の方が大きいと説明されていました。
それから、邪馬台国の所在地論争の出発点は「魏志倭人伝」。
魏志倭人伝には、「兵(器)には、矛を用いる」と記されています。
でも、弥生時代の矛が奈良県からは出ていないそうです。
後日、邪馬台国の会のHPで、議事録がアップされますので、詳細はそちらをご覧ください☆
邪馬台国の会 講演会記録
関川先生と安本先生の対談の様子
今年初めての講演会でした^^
楽しかったです♪