先日、古代史の講演会に参加してきました^^
@三田(港区)
テーマは、
「物部氏の東遷ーようこそ神々のふるさとへー」
1.神話の神々を祭る山河
2.倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域
3.東地域にみられる神話と大和地名の残照
4.物部氏と尾張氏
でした。
※矜持(きょうじ)とは、自負、プライドのことです。
(主催 九州の歴史と文化を楽しむ会)
「先代旧事本紀 現代語訳」を書かれた女性の講師で、丁寧で初心者の私でもわかりやすい講演でした^^
学んだことをまとめます☆
(箇条書きにしたので、サクッと読めます)
・日本の上代古典は、矛盾していることは言っていない。
(古典:古事記、日本書紀、先代旧事本紀、風土記、万葉集、古語拾遺)
例えば古事記と日本書紀で内容が違うことがある。
その理由は、違う種族が伝承し、書きつけたので。(当たり前)
そのような違いを除くと、一致している。
(「よくぞ一致している!」と考える人は少ない。)
・古典に書かれている古い神話の時代は、楠や樫が出てくる。
楠や樫は北部九州にある植物→神話は北部九州が舞台になっている。
(畿内や関東は、杉)
・川は言語の化石。
・山頂に神々を祭るのは古代のスタイル。その後、山頂まで行くのが大変になり、山の下に祭られるようになった。
・場所を移せる天皇家は海洋民族なのでは?農耕民族は土着して動かない。
・なぜ山などの自然に神が祭られているのか?
そもそも社殿は仏教の影響で、仏教が日本に入ってくる以前は、社殿はなく山や石など自然を信仰していた。
へぇ~なるほど~と思うことがたくさんありました。
例えば、古事記、日本書紀で何で違うことを言ってるの?
の答えは、シンプルなものでした。
「違う種族が伝承し、書きつけたものだから違って当たり前」
なんとなんと。
そうですよね。
言われてみれば、そりゃそうだ、と。
それぞれの立場で、それぞれ伝えたいことを言っているんですからね。
「違って当たり前」
古典の植物に注目するのもおもしろいなと思ったのが、コレ。
古典に出てくる楠や樫。
畿内や関東にはなく北部九州にある植物だそうで…
ということは、素直に考えれば、神話って北部九州発ですよね。
ふむふむ。
社殿ではなく、山や岩などに神様が宿っている、祭られているのは何でなのかな?と漠然と思っていましたが、こちらもすっきり。
538年に仏教が伝来しますが、神社で見られる社殿は仏教の影響で、それ以前は社殿はなく山や岩、石、樹木に神様が祭られていて、それを拝んでいたんですね。
日本の最初の信仰は、自然だったんですね~。
日本人なのに、日本のこと全然知らない><
今日はこのあたりで、次回、講演会の本題に入ります(笑)