聖徳太子のイメージといえば、
人の話をよく聞いて、頭のいい人
とか、
十七条の憲法や冠位十二階
でしょうか。
そんな聖徳太子ですが、彼を取り巻く人間模様がかなり複雑なんです。
聖徳太子の10代後半~のオハナシ
飛鳥時代の政治家であり貴族でもある蘇我馬子の娘と結婚します。
「太子さん、結婚おめでとう」
聖徳太子「ありがとう。幸せになるよ」
そして子供も生まれた。
でもこの結婚、策略家の蘇我馬子が仕組んだものだったのかもしれないのです。
この時代の政略結婚はよくあったようです。
聖徳太子の父親はこの政略結婚に反対しなかったのでしょうか?
太子に聞いてみましょう。
聖徳太子「天皇をしていた父は、数年前に亡くなったよ」
このときの天皇は崇峻天皇で、聖徳太子の伯父でした。
聖徳太子「聞いてよ、その伯父が殺されたんだ…」
前代未聞の暗殺事件が起きたのです。
犯人は、顔見知りの人でした。
聖徳太子の妻(蘇我馬子の娘)の家庭教師であり、蘇我馬子の部下である人でした。
名前は東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)です。
長いので、駒と呼びます。
伯父が暗殺されただけでもショッキングですが、これだけでは終わらないのです。
聖徳太子「妻が…伯父の殺人犯と不倫をしていて、僕と子供を捨てて逃げようとしているんだ」
太子の伯父である崇峻天皇を殺した駒と、太子の奥さんが不倫をしていたようです。
太子の奥さんは太子ではなく駒を選んだ…
がっくりきますよね…
がっくりどころの話ではないですよね…
ショッキングはまだ続きます><