【法隆寺】世界最古の☆

柿くへば~鐘が鳴るなり法隆寺~
(正岡子規の俳句)

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法隆寺は、現存する世界最古の木造建築物です。

創立者は、推古天皇と聖徳太子です。

607年に創建され670年に全焼し再建され、今から1300年以上前の木造建築物ということになります。

1993年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました☆

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ここで注意

法隆寺は世界最古の木造建築物で、日本最古の寺院ではないんです。

日本最古の寺院は飛鳥寺で、6世紀末~7世紀初頭に創建されました。

創立者は蘇我馬子です。

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法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺院ですが、ここには聖徳太子はいません。

どこにいるかというと…
聖徳太子が眠っているお墓は大阪府にあります。

(宮内庁が、聖徳太子のお墓だと比定したのが大阪府の叡福寺だということになりますが…)

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【聖徳太子】矛盾してない?つづき

【聖徳太子】矛盾してない?のつづきです。)

新羅(朝鮮半島)に出兵しようとするのは、目的や理由がありました。

でも、「平和を大切にしてね。けんかは、ダメよ」と言う人なら、まずは話し合いをする発想になるのが自然では?と思ってしまいます。

聖徳太子って実は武闘派??

もしかしたら、私たちの描いている太子像とは少し違うのかもしれませんね。

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「・・・。」

新羅出兵“計画”にもう少し触れると、これは“計画”で終わりました。

太子の弟を司令官に任命したのですが、病に倒れて亡くなったため一旦保留。

次に代わりの人を司令官に任命しましたが、その人の妻が亡くなり司令官は帰京し、新羅への遠征は中止になりました。

なので、“計画”で終わりました。

太子が出兵しようとしたのはなぜでしょうか?

それは、朝鮮半島に、

日本の出先機関があった
朝鮮半島にあった倭国奪回を画策した倭人組織があった
日本の天皇家の故郷の土地があったなどの説があり、

その場所が新羅によって奪われてしまったから、と考えられています。

ざっくり言うと、朝鮮半島に日本があったようです。

そうなんですか?!

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「そうなの。僕には取り返したい気持ちがあったから、戦争の計画をしたんだ。だから矛盾してるって言わないで」

(と、太子の声が聞こえた気がする…)

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【聖徳太子】矛盾してない?

聖徳太子の業績の中で、今日は特に2つをクローズアップ☆

そして、聖徳太子の性格を妄想・想像してみようと思います。

クローズアップする2つはこれです。
十七条憲法
新羅(朝鮮半島)出兵の計画

ほんの少し詳しく見ていくと…(←この表現が矛盾)(笑)

1つめの十七条憲法は、役人の心構えです。

「一に曰わく、和を以って貴(とうと)しとなし、~~~」のアレです。

役人の心構えなので、いわゆる今の憲法とは違うようです。

十七条憲法のポイントだけ。

第一条

和を何よりも大切なものとし、いさかいをおこさないこと。

(古代史Cafe超訳:平和・穏やかさ・協調性を大切にしてね。けんかは、ダメよ~ダメダメ)

第二条

あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。

(古代史Cafe超訳:熱い気持ちで仏教を!)

第三条

天皇の命令をうけたら必ず謹んでそれに従いなさい。





第九条

真心は人の道の根本である。

(ステキなことをおっしゃる)

と、こんな調子で十七条まであります。

これを見ると聖徳太子って、温和でできたお人だったんだろうなぁ。。。と想像します。

が、しかし!

2つめ、新羅(朝鮮半島)に出兵の計画

つまり、戦争をしようとするのです。

「和を以って貴(とうと)しとなし、~~~」と言っていた人が、武力を行使しようとする。

「平和を大切にしてね。けんかはダメよ」と言っていた人が、武力を行使しようとする。

これって、矛盾していませんか?

(一部参考:『逆説の日本史2』井沢元彦著)

つづく

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【聖徳太子】エネルギッシュ!

若くして、複雑な人間関係を経験することになった聖徳太子ですが、その後はみなさんのご存知の通りの華々しい業績を収めていきます。

・推古天皇の摂政になる
・遣隋使の派遣
・法隆寺(の原形)の建設
・冠位十二階を定める
・十七条憲法を作る
・新羅(朝鮮半島)に出兵の計画

バイタリティがすごい。そしてエネルギッシュ!

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「ありがとう。」

(と聞こえました)(笑)

このときの聖徳太子の周囲を見てみると…

叔母が天皇(推古天皇:初の女性天皇)をしていて、義父(蘇我馬子)が権力者として政治に関わっています。

華々しい業績に戻りまして…

全て一人で成し遂げたのではないにしても、今も語り継がれる偉業の数々。

さすがです。

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「ありがとう。」

(と聞こえました)(笑)

でも、よーく見ると矛盾?しているというか、気になるところがあります。

それは、
・十七条憲法を作る
・新羅(朝鮮半島)に出兵の計画
です。

どこが??

それは、また次回に☆

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【聖徳太子】最近の教科書事情をのぞき見る

※このブログは、2014年9月21日に書いています。

学校を卒業して十数年。

歴史の教科書と疎遠になって十数年。

最近の教科書事情をのぞき見てみようと思います。

現在、教科書において、「聖徳太子」は、「厩戸王(聖徳太子)」と記載されています。

(『日本人なら知っておきたい日本史の授業』金谷俊一郎著より引用)

ほぅ。

聖徳太子の本名は厩戸(うまやど)なので、“厩戸王”と載っていても何の不思議もないのですが、
厩戸王だと聖徳太子感に欠けるというか…
あれ?本名は厩戸ということは、“聖徳太子”って呼び名は何なのでしょうか?

「聖徳太子」は後世の人々がつけた「尊称」で、しかも、この聖徳太子という尊称は、死後100年以上たった後につけられたものであり、彼が生きている間は、「厩戸王」という名前しか用いられなかったのではないかという考えが有力になってきました。

(『同著』より引用)

※尊称とは、尊敬の気持ちをもって呼ぶ表現のことです。

生きているときは、「聖徳太子」とは呼ばれてなかったんですね。

教科書に「厩戸王(聖徳太子)」と記されるようになったのも、上記の理由からだそうです☆

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