古代の天皇には奥さんが複数いて、子供がたくさんいますが、どんな結婚形態だったのでしょうか?
通い婚や婿入婚が一般的だったそうです。
そして、通い婚には生涯通じて通い続ける場合もあれば、しばらくして婿入りする場合もあったようです。
生涯通い続けるとは、ある意味情熱的のような気もしますが、女心としてはなぜ婿入りしない?(笑)
ところで、天皇の言葉を信じてずっと待っていた女性がいました。
▷80年待つオンナ
第21代雄略天皇が美和河(みわかわ)というところに遊びに出かけたときのことです。
美しい少女が川辺で洗濯をしていました。
あまりにも美しかったので、ナンパをしました。声をかけて名前を聞きました。
すると少女は「私の名前は赤猪子(あかいこ)と言います」と答えました。
雄略天皇は、「他の男の元に嫁がないでね。今に必ずあなたを私のところに呼び寄せるから」
そう言って、宮に戻って行きました。
それから、赤猪子(あかいこ)は天皇の言葉を信じてどこへも嫁がずに待っていました。
(それはそうですよね、天皇が待っててねって言ったんだから)
月日は経ち80年。(80年!?)
さすがの赤猪子も考えたそうで。
老化でしわしわ、もう呼び寄せてもらうことはないだろうけど、待ち続けたことを伝えないと心が晴れない。
ということで、天皇に会いにいきました。
(そうだ!そうだ!)
ところが、天皇は赤猪子に言ったことを覚えていないどころか、存在さえもすっっっっっかり忘れていたそうです。
(ひどい・・・><)
「あなたはどこの婆さんなの?どういう理由で来たの?」
赤猪子は準備していた言葉を洗いざらい話したそうです。
すると天皇は驚いて、侘びを言いました。
そして、今できることと言えば贈り物で償うことくらい。
歌をうたい、たくさんの贈り物を授けて赤猪子を下がらせました。
何という結末…
(モノで片付けたな…)
涙無しでは語れません。
これは『古事記』に載っている内容なのですが、(現代語訳よりくだいて古代史Cafe超訳ですが)赤猪子が待ったという80年。
実際に80年かどうかは解釈によるところで、“長い期間”を表しているとも言われ、もう少し短い期間しか待っていなかったとも訳せます。
が。
いずれにしても、何年もの間待たせたことは『古事記』から読みとれます。
(結果忘れてましたけどね)
女性が長い間でも待っちゃうくらい、きっと魅力的な天皇だったのでしょうね。
とまとめてみる。