【古代史講演会】「物部氏の東遷」参加してきました☆(3)

港区三田での講演会のブログのつづきです。

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「物部氏の東遷」参加してきました☆(1)
「物部氏の東遷」参加してきました☆(2)

講演会のテーマは、
「物部氏の東遷ーようこそ神々のふるさとへー」
1.神話の神々を祭る山河
2.倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域
3.東地域にみられる神話と大和地名の残照
4.物部氏と尾張氏
でした。
※矜持(きょうじ)とは、自負、プライドのことです。

(主催 九州の歴史と文化を楽しむ会)

「先代旧事本紀 現代語訳」を書かれた女性の講師のご講演でした^^

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今日は、テーマ「2.倭国の伝統の矜持(きょうじ)をもった北部九州の東地域」について書きます^^

資料から引用して箇条書きにします。

▷北部九州の東地域について

○考古学的には箱式石棺の文化をもち、鉄器の出土が顕著

○縄文時代以来の「石」や「木」の文化を大切にする人々

○弥生時代の遺跡 福岡県飯塚市立岩(たていわ)は、日本列島各地の神社の原初的信仰形の磐座(いわくら)を意味する

たていわ、たていし、いわたては、天皇家に伝承される言葉

とおっしゃっていました。

(箇条書きの引用つづきます)

○日本神話では瀬戸内海や出雲との交流は密接

○海洋や河川の水上交通に長けた海洋民族を彷彿とさせる

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▷え?鏡が出てこない??

○天照大御神の時代の最後まで、神器としての鏡を所有していたようにみられない

○天つ神の先祖は、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の尊に「天の瓊矛(ぬぼこ)(玉飾りの矛。)」を授ける

が、しかし、

○天照大御神は孫の瓊瓊杵(ににぎ)の尊に「わが御魂として」を授ける
↓↓ということは…
○神話を創造した人々が当初は大陸文化の象徴である「鏡」を欠いていたというのは、その時代性や地域性を伝えたものではなかったろうか

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▷今日のまとめ

神話を形成した人々(北部九州の東地域)は、
金印奴国に阻まれ、中国の王権と密接な鏡を入手することに遅れをとったものの、

●縄文時代以来の日本列島の伝統を継承した地域
↓↓
●倭国の伝統の矜持(きょうじ)(プライド)をもった地域だった

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こうして改めて、一つ一つ見ていくと、まるで謎解きをしているような感覚になります。

へぇ~、ほぉ~、ふむふむ

日本人=農耕民族というイメージがありましたが、海洋民族だったのかもしれないのかぁと。

農耕民族は、その場所に住み着きますが、海洋民族は移動することに抵抗なく、

どおりで神話を読んでいると、あちらこちらに移動しますよね。

海洋民族って考えた方が、自然なんだろうなと思いました^^

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