【日本初】甲(よろい)を着た古墳人~群馬県渋川市~

6世紀のこと。
榛名山二ツ岳の2回の大きな噴火がありました。

▷金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)

その噴火によって火山灰や軽石が厚く積もった場所です。

その場所から、甲(よろい)を着た古墳人が発見されました。

鉄製の甲を着たままの人骨です。

古墳の副葬品として出土した鉄製の甲はたくさんあるけれど、
人が身に着けた状態で発見されたのは、日本で初めて

古墳人はなにを語るのでしょうか。

今日は、甲(よろい)を着た古墳人や、
金井東裏遺跡について、できるだけやさしく
お伝えしていきたと思います。

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▷ところで、6世紀ってどんな時代??

6世紀のできごとを大まかにみていきましょう♪

507年 26代継体天皇 即位
527年 磐井の乱
538年 百済から仏教伝来
592年 32代崇峻天皇 暗殺、推古天皇 即位
593年 聖徳太子 摂政

▷これだけはおさえたい「金井東裏遺跡」のキホン情報

甲(よろい)を着た古墳人は
いつ、どこで発見されたのでしょうか?

◇発見時期:平成24年11月(2012年11月)

◇発見場所:金井東裏遺跡(群馬県渋川市金井)

※金井東裏遺跡は、
6世紀に起こった榛名山二ツ岳の2回の大きな噴火によって、
火山灰や軽石が厚く積もった場所

◇年代:古墳時代

◇発見された地層:6世紀初頭に噴火した榛名山二ツ岳の火山灰の地層

◇人骨の年齢:成人男性

興味が九州や奈良ばかりにいってしまうのですが、
同じころ、関東でも生きていた人たちがいて、
そこにはさまざまなドラマがあったのですよね。

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▷古墳人はどんな風に発見されたの??

1)火山灰の下うつぶせの状態で発見
2)両膝を曲げた状態で前のめりに倒れた姿勢で、後頭部の骨は失われている
3)噴火による火砕流で命を落としたと考えられている

そして、「甲を着た古墳人」が生きていた時代は、
古墳時代半ばと考えられています。

うつぶせ状態のレプリカの写真は、
渋川市のホームページから見られます。
渋川市のホームページ

クリックしていただくと、パッと目に飛び込んでくるのが
甲を着た古墳人です。

▷日本初!!

鉄製の甲を着たまま発見された人骨。

古墳の副葬品として出土した鉄製の甲はたくさんあるけれど、
人が身に着けた状態で発見されたのは、日本で初めて

あれ??
もう少し盛り上がってもいいのでは…

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▷家族4人、逃げ遅れた??

この男性の人骨のほかに、発掘近くで、
女性乳児(二人)の人骨が発見されています。

男性と女性は、夫婦?
乳児たちはこの男女の子供?
家族なの?

想像は膨らむばかりです。

男性の人骨は、火山灰の下でうつぶせの状態で
発見されました。

噴火に気が付いて火砕流から逃げることは
できなかったのでしょうか?

▷火砕流が時速100キロ以上!?

そうなのです、そのような見方もあるようです。

「あっっ!」と思ったときには、すでに火砕流に
飲まれていたのかもしれません。

時速100キロの火砕流

考えただけでも身が震えますね…。

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▷最後に

仏教が日本に入ってきたり、32代崇峻天皇が暗殺されたり
何かと慌ただしい中、群馬県でも一大事が起きていたのですね。

今回ご紹介した甲(よろい)を着た古墳人と、
その近くで発見された女性、乳児の骨。

これらは一体どんなことを意味するのでしょう。

研究は進んでいるようです。
今後の報告が待たれます☆

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≪参考にしたサイト≫(外部にリンクします)
群馬県埋蔵文化財調査事業団
http://www.gunmaibun.org/info/kanaiura.html

渋川市
http://www.city.shibukawa.lg.jp/kankou/rekishi/replica.html

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